決断力。

2006年1月2日 厨房


 
 
 
 
  

午前中に『博士の…』を読了し 
正月読書第二段は将棋の羽生さんの『決断力』。
将棋という勝負の世界での判断の仕方。
それは自分のなかでは剣道と重なり
また
学校での授業のしかたとも重なった。
 
特に
将棋というものは相手と交互に手を指しあうもので
相手がいて自分が決定するのだ
というくだりが印象的だった。
相手の手を読み
相手の思考を読み
相手の性格を読み
相手を理解する。
対峙しながら無言の中で以心伝心。

剣道は単なる打ち合いじゃない。
打つために「間合」に入らなければならない。
その打つ準備のあいだに
相手の技は何があるのか
相手が何を狙っているのか
相手がどのような反応をしてくるのか
相手は自分のことをどう思っているのか
それを読まなければならない。
それを読みきることができて初めて
相手のふところの中に飛び込み
相手の読みを乗り越えて
自分の一撃を相手に加えることができる。
それは時間で言えば
ゼロコンマ何秒というときもあり
何分間というときもある。
自分の読みが相手を上回ることもあれば
相手に読まれてしまうこともある。
しかしその間
竹刀のふれあいで間合いの取り合いで
確かに相手と会話しているのだ。

授業ではどうか。
生徒はどこまでわかっているのか
生徒はどういう反応をしてくるのか
それを読みながら授業しているか。
また生徒はこちらのことを読みながら授業を受けているか。
残念ながらその境地には至っていない。
こちらはこちらですでに答えを持っていて
あちらはあちらでこちらの答えを待っている。
一方通行。
スリルがない。
相手を読みあう緊張感がない。
理解しようとするベクトルの交差がない。

日本には
相手を「読みあう」という文化がある。
相手の歌に続けて下の句や上の句をつけ
さらに相手にその先を求めていく「連歌」があり
相手をもてなし
またその相手も主人のもてなしを読む「茶の湯」があり
観客が演者の作り出す世界を読み
演者も観客の趣向を読もうとする「能」がある。

相手がいて初めて自分がいる。

その相手と真剣勝負をするために自分自身を磨く。
それは知識や技能ではなく
知恵や肉体や精神といったもの。
プロというのはそういうものなんだと思った。
すなわち
自分の中だけで何かを高めるのではなくて
相手に100%の力をぶつけ
相手から100%の反応を引き出すために
毎日毎日自分の専門を徹底的に究めていこうとする存在。

自分はまだまだプロとしての自覚が足りない。
足りなすぎる。
まずはほんとうに
100%のものを相手にぶつけられるようにすること。
相手の反応を読みそれに応じて自分を変化させていくという
幅を持つこと。
 
面白いではないか。
 
今年の目標はプロになること。
そのために実践すること。
 
 
 
  
 
 
 

 

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