一日の終わりに心を整理する。
2011年5月15日 リビングお風呂に30分入る。
入りながらゆっくりと呼吸を整えて
頭の中心の中のいろいろなものを整理していく。
はじめは一日のいろんなことがあたまの中を巡るけれど
そのうちだんだん落ち着いてきて
心の中に残っている気がかりなことも
解決策が見えたりもしくはフェードアウトしていったりする。
からだが十分に温まって軽く汗が出てきたら風呂から上がってストレッチ。
背中や肩や腰の硬直をほぐしていく。
昨日はつかれすぎてこれができなくて
今日はまるで二日酔いのような頭痛が朝一番に襲ってきた。
もうこの年になったら
心を鍛えるのではなく心を毎日掃除して整理していくことが一番だ。
風評被害ふざけるな。
2011年4月22日 リビング福島ナンバーの車に乗っていたらインターチェンジで文句つけられたとか
福島の人たちが避難している温泉地において温泉に入るのを拒否した人間がいるとか
学校でいじめられるとか家にいたずら書きされるとか
ふざけるな。
なんだ。
CMでみんないっしょだとかみんなでがんばろうとか
けっきょくことばだけじゃん。
完全に矛盾してるじゃん。
本当にふざけるなと言いたい。
そんな我が家は
今日スーパーで
売れ残りぎみの茨城県産のチンゲンサイを買いました。
自分のことだとか自分の所属する組織のことばかりに気を取られている状態は
とても視野が狭い。
自分はただの「点」だし
組織なんてほんの小さな円にすぎない。
そんな小さな視界の中でなら
ほんの些細なことでも大きく見えてしまう。
今のことしか考えていないなら視野は止まってしまう。
過去のこと未来のことを思考の幅の中に入れるなら
視野は次元を増す。
そういう視野を自分は持ちたい。
夜
ひっそりと息を吸いながら思考回路をなでてみる。
地震から2週間以上たって
首都圏はほぼもとの生活を取り戻しているように見える。
計画停電もここのところ実施されないし
ものも流通するようになってスーパーとかの品揃えも落ち着いてきたようにみえる。
でも
まだまだ被災地の状況は凄惨な有様。
テレビや新聞でその状況を知ることはできるけれど
ただテレビを見た新聞を読んだだけで
被災地のことが分かったつもりになってはいけないと思う。
どれだけ苦しいことがあるか想像してみる。
まだ避難所で寒い思いをしている人はたくさん居る。
寒いだけじゃない。
何百人も居る体育館のなかで寝起きする落ち着きのなさ。
共同で使うわずかなトイレのきたなさ。
何をするにも不自由な状況。
今自分は
トイレに行きたければトイレに行けるし
鼻がかみたければ鼻をかめるし
何か食べたければすぐに食べられるし
ほしい物は手に入るし
仕事はできるし遊ぶこともできる。
どれだけたくさんの苦しみが東北の人たちの身に降りかかっているか
それを想像し続けられるか
そういうことが大事なんだと思う。
つまり
思い遣る
ということ。
ていうか買う気満々。
そして片道20キロ弱を通勤するつもりでいる。
毎日クロスバイクのHPやら雑誌やらを見てむずむずしている。
幸いほしいブランドのものが近くの店で売っている。
自転車がほしくなった理由。
①今回の地震で車も電車もだめになった時どうするかという時に自転車が強い。
特に今年の夏は電気どうなるの?
と考えると自転車通勤は強いなと思う。
②職場で今熱くなっている。
つまりミーハー。
③体力作り。
車通勤でなまりきった体を作り直したい。
電車通勤はできればしたくないんだよね。
④生活に変化がほしい。
そういうお年頃なんだよ…。
明日買いに行っちゃおうかな-。
たーのしーい
なーかまーが
ぽぽぽぽーん
で
TNP
だってさ。
http://www.youtube.com/watch?v=lS9CYQOM6nc&feature=player_detailpage
未だかつてなかったこの自由な時間。
2011年3月21日 リビング地震後の首都圏の混乱で
3月末の仕事が全くなくなってしまった(別に職を失ったわけではない)。
この3連休も
本来の予定ならすべて埋まっていたのだけれど
それもすべてキャンセル。
なので
朝は寝坊ができて
10時くらいまでうだうだして
掃除も洗濯も心置きなくできて
そしてなにより本をだくさん読める。
年度末に経費で買い貯めした専門的な本をここぞとばかりに読みあさる。
今日も一冊読み終わり。
そのいっぽうで
棚の中が空っぽで少し薄暗いスーパーの様子を見て
そんななかであれがないこれがないと不安がる世の中の様子を見て
こんなことも考える。
もののありすぎることが当たり前の世の中で生きてきて
ここでようやく本来あるべき姿が見えてきているのかもしれないと。
仕事で忙しすぎて何のゆとりもない毎日を生きてきて
ここでようやく本来あるべき姿が見えてきているのかもしれないと。
どこぞの都知事の確信犯的な発言ではないけれど
しかしあまりに物欲にとらわれていろいろなものを見失ってきた自分たちは
今少し冷静になって
地震の前の姿に戻るのではなくて
あたらしい姿を模索しなければならないのだろうと思い始めている。
ないものを求めて長蛇の列を作ったり
失うことを恐れて買いだめをするのではなく
ないということを受け入れて生きていくことが
首都圏には必要なんじゃないかと思う。
少なくとも
まさしく全てを海の彼方に流されて
ないということを受け入れざるを得ない人々が北の大地にたくさんいらっしゃるのだ。
地震が起きて一週間。
2011年3月17日 リビング11日。
地震が起きたときは職場だった。
かれこれ2分くらい揺れ続けていた。
その後電車がすべて動かなくなり
校舎にいた生徒たちは待機せざるを得なくなった。
車で迎えに来られる家庭が生徒を引き取りに来る中
帰れない生徒は学校に泊まることになった。
非常セットは生徒分あったが
寒い中乾パンだけでいるのはつらいから
幸い冷凍庫に眠っていた文化祭用の冷凍うどんで炊き出しをした。
こういうときに家庭科室のある学校は強い。
うどんを食べさせたら
こんどは寒い夜空の下保護者の車の誘導。
この日は中学だけしか学校に来ていなかったので
高校担任である自分らは帰宅することに。
中学担任は宿泊である。
帰宅したのは12時半。
それから一週間がたった。
被害の具合が明らかになり
思ったより余震の被害が出なかった一方で
原発がひどい状況になり
この先世の中の動き方は不透明な状況。
あと数年は今までのような電気の使い方はできない。
そして放射能の影響で東北地方の農漁業は廃滅してしまうだろう。
食料危機が訪れるだろう。
でも円高になったことで海外の物資を安く調達することができる。
東日本はミニマムな生活を余儀なくされる。
被災者は一刻も早く暖かく平穏な生活に少しでも移行していただきたい。
南関東に住む自分たちは生活のあり方を見直さなければならない。
いつかはくるべき課題だったが
まさかこういう形でくるとは。
果たしてこれから先どのようなことがまちかまえているのか。
自分には原発の事故を処理することも津波の跡を除去することもできない。
できるのは
今持っている生徒らを一人前にして
これからの世の中を作り直してもらうことだ。
春休みは部活も講習もなくなってしまった。
今はひたすらこれから先できることのために力をためておくことだ。
かつてあれだけ痛めつけられた大学のゼミだが
最近月に一回
研究会にお邪魔している。
気づけば大学(院)を出てもうすぐ10年近くたつ。
現場での仕事も軌道に乗ってきた。
乗ってきた今壁が見えてきた。
もっと勉強せないかん。
小学校の国語で古典が重視されつつあり
それに向けて小学校の教員や教員志望の大学生向けに
古典分野の理解を深めるための書籍を作れないかという研究会で
2年後に出版を予定している。
その中に混ぜてもらっているのだ。
自分以外にも今現場で活躍されている先生も複数参加している。
月に一回担当者が発表をし
それに参加者が意見を述べていく。
ゼミをやっていた頃を思い出す。
その中で自分の視野が開かれていく
というか
堅くなっていた畑が耕されていくというような感覚。
ああ
勉強したい。
ていうか
六月には自分が発表するはめに。
勉強しなくちゃ…。
結構続いている習慣。
予定を黒字で
その日にあったことを青字で
その日に思ったことを赤字で書く
毎日体重計に乗って結果を手帳につけていく。
風呂で30分湯船につかりながら本を読む。
最近は坂の上の雲。
風呂上がりにストレッチをする。
車の中でポッドキャストを聴く。
他には?
仕事がある日は毎日弁当を作る。
行けば分かるさって…。
2011年1月17日 リビング コメント (1)先日
職場で話題になりました。
猪木カーナビ。
http://www.moshimo.com/article/30822/353773?gclid=CODO_-2bwaYCFUxtpAodDV9oFw
「迷わす行けよ 行けば分かるさ」
って
案内してくれよ。
「この道を行けば どうなるものか」
って
そりゃ無責任すぎだろカーナビなのに。
じゃあやっぱ
事故をおこしそうな時は
「歯を食いしばれ!一、二、三、ダーっっ!!」
なのか!?
だれか試しに買ってみてほしい。
京都旅行の写真アップしました。
2011年1月10日 リビング年末に買いました。
二階の勉強部屋が寒くて
夜だと指がかじかんではなしにならなかったのが
こいつのおかげで全く問題ないです。
音もしないし風もないし空気も乾かないので
ものすごく健康的な暖かさ。
木造6畳の部屋で
弱で大丈夫です。
○マゾンで半額で買えました。
年末京都に行っていて思いっきり雪にぶち当たりました。
雪の東寺はきれいでしたよー。
いずれ写真をアップします。
極寒の京都から戻ってきて感じた
緊張感のない都心の空気。
そして年明け。
もう3日目も終わろうとしてますが
今年はどうなるかしらと
鎌倉に初詣に行きながら思いました。
今年は間違いなく大変な年になりそうです。
まず順調にいけば10月に出産があり
仕事でも来年度は高3担当。
でも
冷静に考えてみれば
大変なのは自分の周りの人々であって
じぶんはそのフォロー役に過ぎないのである。
そういうことで
今年のテーマは
「気くばり」。
今まで自分の気持ち次第で仕事をしてきて
周りに不愉快な気持ちをさせることも多かろうから
今年はとにかく気くばりのできる人間になろうかと思います。
周りにどれだけプラスになれるか。
場のいい雰囲気を作れるかどうか。
去年は家ができて
しかし今まで作ってきた仕事が崩れかけて
少し距離をとってみたら少し肩の荷が下りて
いろいろな分野で手応えを感じ始めて
そしてどうやら新しい家族のステージが始まりそうで。
来年(度)は
そういう流れでいうと人生の半分の総決算の年になりそうです。
なので
自分という器にこだわらず
まわりにどれだけ貢献できるかということを試してみたいと思っています。
京都と言えば
桜の時期か新緑の時期かまたは紅葉の時期か。
真冬に好んでいく人は少なかろう。
実際にどこのお寺に行っても人は少なかった。
どこの名所に行っても底冷えがして薄暗く樹木は冬枯れしていて
よく言えば冷え冷えとしたさびを感じるといえるが
心躍るような感動はなかなか感じられない。
ところが
大晦日は朝から大雪で午前中にはどこも真っ白になった。
そんな中
まず錦市場に行ってお正月の品を買い
それから東寺に行って雪景色を堪能した。
まさしく冬の京都。
薄墨色のそらを背景にうかぶ五重塔に心躍ったのだった。