剣道は年を取っても上達するからおもしろい。
いやむしろ
学生のときより年を取ってから上達したし。
外に出稽古に行ったりして向こうの顧問とか大人とやって
勝つのはもちろん気持ちがいいし記憶に残るのだけれど
相手にやられてしまったときは
悔しくて二日くらいいろいろと考えてしまう。
その結果
次は絶対にやられねぇ
と思って稽古に身が入る。
合宿に行って生徒を伸ばすはずが
生徒ももちろん上達したけれど
自分も何かを掴んだ。
帰ってきて
顧問の指導者研修会というものがあり
そこへ行ったときに
いつも稽古をつけてくださる先輩先生と勝負した。
いままではボコスカにやられて辛うじて一本入れるくらいだったのが
そのときは五分五分の勝負。
ただ突っ込むだけじゃなく
自分の間合いをキープして
冷静に相手を見て仕掛けてくずして打って行けた。
高段者の先生にお願いしたときは
いままでになく相手がよく見えた。
自分の打ちを思う存分に打てた。
というより
ああこういう構え方で剣道はやるモノなんだなあ
と
何か見出した感じ。
こういう稽古が出来たときが
剣道やっていていちばん良かったなあと思うときだ。
この夏は上達した。
この調子で行って
来春に五段に受かりたいものだ。
本気で結果を出してみな。
2009年5月31日 稽古場肝心要な部分で手を抜いたり詰めが甘かったりする
そんな自分に今更ながら気がついた。
口では結果を出せと言ってみたり
いやいや普段の行いが大事だとか言ってみたり。
本気でがむしゃらに結果を出しに行ってみな。
なりふり構わずやってみな。
理屈抜きで。
そういうのが大事なんじゃないか?
PDCAの例として。
2009年5月3日 稽古場PDCAとは
計画(仮説)
実行
検証
修正
のサイクル。
こうして書くと堅苦しくて難しいけれど
実際にはけっこう日常のなかで無意識に行っていることなのでは。
だけれど
無意識でやっていると再現性のないその場限りの実践例になってしまう。
そうでなく
意識的にPDCAのサイクルを取り入れていくと
自分の実践を更に分析できる。
そして同じ過ちは繰り返さないで新しいステージに進むことができる。
たとえば
最近部活の調子がいいのだけれど
それを考えてみたらこうなった。
①選手の能力は悪くないはずなのになかなか実力が伸びない。
運動量を増やすことよりも
基本となる「構え」の身体的心理的な習熟ができれば
全く今までとちがう成長が美羽込めるかも知れない。
②練習の中に「構え」を意識させる練習をどんどん取り入れる。
また試合の中でも結果云々より「構え」が出来ているかどうかだけに注目し
アドバイスや指導をする。
③「構え」はとてもよくなり
それに伴って無駄な動きもなくなり
なにより相手の「構え」を崩すという剣道の本質に近づくことができた。
しかし「構え」に注目するあまり
一回攻めたあとの次の攻めへの意識が下がった。
④「構え」に加えて「次の攻めへの意識」をつけるため
今までの「構え」重視の練習に加えて「次」につなげるための練習を加えた。
こうして書き出すと
ごくごく当たり前のこと。
だれでもできること。
だけれど
意識することで
またアウトプットすることで
自分の認識がまったく変化していることに気づく。
アウトプットしていなければ
おそらくは今日の夕方くらいには忘れてしまっているかも知れない。
だけれど
こうして書いてしまうと
もうかなり深く意識に中に刻まれている。
おそらくは上の③が①になり
④が次の②になって新しいサイクルが生まれていくはずだ。
こうして
自分の日常の思考をこういう枠に落とし込むことで
認識を深めていくことができるのだ。
練習があるからやって
練習がないからしない
というのは間違ってないかい?
練習がしたいからやるのであり
練習がしたくないならしなければいいのである。
試合前なのに
練習したいとか練習しなきゃとかいう危機感が全くない連中に幻滅。
もし練習したいのに練習が入ってないならば
練習させてクダサイ
くらい言えねえのかよ!
本当に受け身な連中で腹が立つやらあきれるやら。
しかしなにより
そういう風に育ててきてしまった自分の無力さが一番むかつく。
剣道とボクシングは似ている。
何が似ているかというと
叩く事だけじゃなく
足(フットワーク)の使い方や
間合いの取り方
相手を叩くまでの相手の崩しかたなど。
とくにボクサーの足の使い方はとても参考になる。
年始の日本対メキシコの対抗戦を見て
思わずフットワークの練習をしたくらい。
右足左足それぞれへの体重のかけ具合。
前への出方。
後ろへの引きかた。
そして一番大切なのがバランスの取り方。
剣道もボクシングも
自分はバランスを崩さずに
そして相手のバランスが崩れた時を逃さずに打ち込むことが大事。
動いている最中よりも
動く瞬間そして動いた後というのがバランスを崩すとき。
またこちらのフットワークや竹刀さばきで相手を崩すことも大事。
バランスを維持するためには何より精神的な集中力が必要。
今日は初稽古だった。
生徒を相手に40分休みなく戦いっぱなし。
とても気持ちよかった。
最近本気で剣道できるようになってとても楽しい。
これであと10?くらいからだが軽くなれば
もっともっと動けるんだけれどなあ。
剣道は
素振りなんかをして自分で技を磨いていくことも必要だし大事なんだけれど
いい相手がいなければいい稽古ができない。
今更ながらそんなことに気づく。
今日は朝から試合。
かつ
試合の後に合同稽古。
だから防具を持って行く。
普段生徒と稽古してばかりだから
本気を出す機会がなかなかない。
今日は久々に本気で剣道をした。
何かに対して本気や全力を出すと
それだけで色々な成長を感じる。
構えから攻め方メンタルの維持そのほか色々
たった30分の稽古の中で感じることがたくさんある。
普段の生活の中でも
もっともっと本気を出す場面を自分に課していけると良い。
知る人ぞ知る。
今日は何の日か。
今日は
全日本剣道選手権の日です。
特に関東地域では
唯一剣道がテレビで放映される日。
(剣道が盛んな九州では玉龍旗大会などが放映されているみたい)
4時からテレビにかじりついて歓声の連続。
(怪しいやつ…)
素人さんは
剣道はどう打てば一本になるのか分からない
とよく言う。
でも
剣道をやっている人から見れば
入っていないものは明らかに入っていないし
入っているものは明らかに入っている。
それを分かりやすく説明するのはとても難しいのだけれど
あえて単純化するなら
打たれた相手が明らかに一本取られたと思う打ち
それが一本。
ただ叩くのではなく
完璧に精神的にもやられたと思わせる打ち。
そのためには
闇雲に打ちに行っても駄目で
ふとした相手の隙を見いだして打つか
もしくは
相手の動きを読んで相手に隙がうまれるところを打ち込む。
当然相手もそれを読んで打たれまいとする。
その目に見えない精神的な読みあいがスリリングなのだ。
目に見えないといってもそれは打ちではないだけで
間合いの取り合いや竹刀のさばきなどでその様子は分かる。
でも
それもあくまで見える世界での話で
さらに精神的にはすごくハードな呼吸の読みあいがある。
やはり
試合をやらなくちゃ剣道は面白くないな。
自分も何か試合に出てみようかな
そんなことを思った。
今日は午後から剣道形の講習会だった。
それに行く前にバガボンドを読みあさった。
がちがちに力が入っていると
思ったような動きがとれない。
それは剣道もそうだけれど
日常生活もそうかもしれないと最近思う。
今日はほどよく脱力して講習を受けた。
受けたと行ってもむしろ指導者の立場。
はじめに見本として演舞をやらされる。
そういうときは緊張するのだけれど
不思議なほど緊張しないで
自然に相手と呼吸を合わせることができた。
相手の動きを見据えて
相手の呼吸を受け取って
相手の動きにあわせて
自分が攻めていく。
終わったらほめられた。
形のあとは稽古会。
なかなか自分の所に中学生が来ないので
自分は強い先生とたくさん稽古できて今日は愉しかった。
そこでもほどよく固さがほぐれて
相手の目を見据えて剣道ができた。
ほんとうに納得できた打ちは数本しかなかったけれど
最近の自分としてはまずまずだった。
夏場はすぐばてて動けなかったし。
それでも
まだ気持ちがゆるんで居着いてしまうし
攻めや守りに深みがない。
動きや気持ちによどみができて
そこをつかれてしまう。
まだまだ。
体育館10周。
道場で腕立て20→腹筋20→背筋20→スクワット30
を2セット。
生徒にはさらに
階段往復15周
馬跳び20回。
やってる間は余裕だけれども
夜になって疲れてる自分に気づく。
仕事に集中できない…。
体力が無くなったというか
全然力が出なくなってしまっている。
動けないし気迫も出ない。
剣道をやっていて愉しくない。
すっきりしない。
なんでだろう。
車に乗るようになって
そこまでたいりょくがおちちゃったのだろうか。
とにかくショックだ。
自分の体力のなさと同時に
そこから出る気持ちの弱さを痛感した。
弱くなった。
県内ですけど。
でも遠征と呼びたくなるような距離。
新チームを引き連れて県の練習会へ。
実は三日連続試合で
メンバーのなかには3日フル出場のモノも。
しかも夏期講習中。
かなりばてばてのはずなのだけれど
ばててるのは顧問のオレくらいで
子供たちは意外と元気。
戦果はまずまず。
午前中リーグで6校中3位。
3位リーグで6校中2位。
100チーム近く集まった今回の試合のなかで
とりあえず半分より上に位置できた様子。
今までなかなか結果が出ていなかったから
今日の結果はまずまず。
今までの苦悩が何とか少し報われたか。
今までの苦しい練習は何とか少しは役に立ったか。
でもこれで満足はとうていできない。
これからまた少しずつ上へ上っていかないと。
心を鬼にする。
勝つために。
今の部員に本当に勝つ意志と目標があるならば
顧問であるオレが変わろう。
鬼になろう。
今までは桁の違う厳しい練習を課そう。
練習についてこれないのならばやめてしまえばいい。
本当に勝ちたいと思っていないならば。
そういう風にオレが変わることを求めているのならば
オレは変わろう。
別に勝たなくていいのならば
悔しさなんて単なるお題目に過ぎないのならば
まあそのままやればいいさ。
剣道四段の昇段審査に合格!
一発合格!
やたー!
最近
相手の動きが手に取るようにわかる。
だから
生徒と稽古しても生徒はだいたいオレに触れることもできない。
生徒が打とうとするときに
もうオレの方がその隙を打ち込んでしまっている。
打ってきても見切ってしまうからちょいとよけるだけ。
生徒と稽古してもあまり練習にならないから
審査はだめかもなー
と思っていたんだけれど
審査で大人と対戦しても
全く同じことだった。
なんだかおもしろいなー。
今日はある学校の文化祭の招待試合。
ほかの学校も来てA〜Dチームまで作ってリーグの団体戦。
Aチームに気負いと動きの硬さが見えた。
だけれどBやCチームがなかなかいい動きを見せていた。
ほかの学校に比べすこし選手層の幅が出てきたかな?
来年のチーム構想に少し光明が見えてきたかな。
最近あまりいい結果が出なかっただけに
今日の成績はまあまあうれしい。
何かを達成するためには
今までの自分たちを超えなければならない。
それを超えられないならば
何も達成することはできない。
達成することをあきらめたならば
勝負はそこで終わりだ。
一流のアスリートが口にすることば。
「自分との戦い」。
自分との戦いに勝つことができるか。
それが今問われている。
基本の途中から参加。
相面
出端小手
相小手面
相面は間合の勘をとりもどすことに専念。
出端小手は正確さを追求。
どちらも相手の動きをきちんと捉えられるかどうか。
そのためにはしっかりと息をためておかないといけない。
気が充実していないと集中していないから
相手の動きを捉えられない。
相小手面は竹刀のコントロールに課題が残る。
やはりまだ握りが正しくない。
左手に意識が向いているときは成功する。
右手がうまくできていない様子。
三連続技。
面→面→面
面→面→小手
小手→面→面
小手→面→小手
技を繰り出しながら
相手の防御の隙を見つけ出して
最後にそこを攻める。
足の使い方
体の軸の強さ
手首のしなやかさ
それが大事になってくる。
互角稽古
5人の生徒を相手にする。
自分の間合をつかみ完全に制すること
一息で連続して攻め気を途中できらないこと
この二つを課題にした。
体があったまってくるにつれ
体のほうが勝手に相手の動きに反応してくれるようになる。
だんだん勘が戻ってきたようだ。
しかし
やはり右手の握りが横に開く。
これは素振りで直すしかない。
懸り稽古
生徒はやっと懸り稽古らしい稽古ができるようになってきた。
試合まであと一ヶ月もない。
いったいどれだけ強化できるだろうか。
掃除や残務処理などで練習に参加するのがやや遅れる。
今日やったこと。
素振り
相小手面
懸かり稽古の元立ち。
反省
右手の握りがどうしても開いてしまう。
打ちが軽い。
懸かり稽古は受けっぱなしで動けない。
もっと出端を狙うべし。
いい汗をかいた。
どんどん稽古して体を軽くしよう。
気をためて集中することができない。
これもしばらく練習して勘を取り戻そう。