自分と
自分を取り巻くすべてのものに違和感を感じるのは
それは
ある事柄があった時に
無意識のうちに自分の中にある理想が出来上がっていて
しかし自分と自分を取り巻く現実が
その無意識に作った理想と一致しないから
違和感を感じるのだ。
自分の理想と現実が一致しないのは
その理想を実現するための手続きが不足しているからだ。
自分が人に何かを問い掛けるときでも
伝える時に同時にすでに
その問題に関する「答え」ができあがってしまっているのだ。
コミュニケーションはあくまで
その「仮想された答え」に導く手続きに過ぎなくなってしまう。
しかし「仮想された答え」がもうすでにある以上
相手が何を言おうが
自分だけで「答え」に勝手にたどり着いてしまう。
結局相手には何も伝わらない。
何も問題は解決されない。
満たされない。
だから
自分の問題なんてひとに持ちかける必要性はない。
自分ですでに答えを持っているのだから。
もともと人に答えを求めていないのだから。
逆に人の問題に答えを出すのは簡単である。
人から問題を投げかけられたとき
純粋にその問題にどういう背景があり
懸念事項はどういうものであり
問題解決の障害は何かということを知りたいと思うから。
それを聞いた上で
客観的=他人事として答えを出すことはできる。
そして
その時に相手がどういう答えを求めているか
つまり相手の求めている「理想」もある程度予想できるから。
相手は客観的でしかも理想的な答えを聞いて満足する。
俺は決して対立しない。
自分も
自分の問題にどういう背景があり
懸念事項はどういうものであり
問題解決の方法は何か
ということを人に聴いて欲しいのだろう。
だけれど
何故か自分は人にそれを許さない。
どうせ理解されない
という諦めが入ってしまうから。
自分が自分にかけた呪い。
今まで10年以上
自分を毎日否定しつづけてきたという呪い。
呪いはいまでも再生産される。
呪いは
「理想」をまず作り出す。
そして
その「理想」に辿り着けない自分を否定させる。
自分は醜いものだという羞恥心を抱かせ
他者との関わりを断ち切る。
逃げ道を塞ぎそして自己の中だけでのた打ち回らせる。
呪いは解けない。
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