小学生のころから随分と作文を書かされるけれど
作文の書きかたって教えてもらえない。
もちろん
改行の仕方とかいう書式の問題じゃなく
あるテーマについてどうやってまとめていけばよいのか
ということ。
ただ気持ちのままに
感じたままに
そんな変な「素直さ」ばかりを尊重して
「素直」なきもちをどうやって表現すればいいのかということを
全然教えてくれない。
オレはいつのまにかある方法を身につけた。
まずは
書きたいテーマを決める。
その次にメモ用紙に関連することをどんどん箇条書きにしていく。
その箇条書きした事柄に対して
さらに関連することを派生させていく。
あとは
その箇条書きされた事柄に優先順位をつけて
さらに読みやすいように展開を考えて
あとはリズムをつけてつなげていく。
塾のアルバイトをしていた時に
夏休みの宿題で作文を出されたと泣きついてきたときも
B4の紙を渡して上のような作業をさせたら
次の日にはもう作文ができた。
最近は箇条書きじゃなくて
ブレインストーミングをして
どんどん思考を広げていく。
これも面白い。
ある事柄からいくつもの事柄が派生する。
そして
直接には繋がっていない事柄同士をつなげる。
AとCの間の「論理の飛躍」を埋めるのは
途中で経由している事柄Bなのだ。
この頃だんだん思うようになってきたことは
事柄一つ一つの深さというものを追究しなければならないということ。
好みとしてどうしても広く浅い知識を求めてしまう。
広くて深い理解が欲しい。
さあ
もっと本を読もう。
コメント
教育出版の教科書では、あなたのいう「かきかた」を随分教えます。
ワークシートに沿って。
ブレーンストーミングも、小学校2年生でできたよ。
けれど、学期に一回しか教科書での指導がないのは事実。
個々の先生の指導に依る部分が大きいね。
最近はその時間を捻出できないのが悩み所。
すべてが中途半端なのよね。
研究なんて、ほんと、するもんじゃないと思うよ。
OECDで世界一になったフィンランドの教育方法。
でも蓋を開けてみればそんなに難しいことをやってるわけじゃない。
もう日本でも知られてる方法だったりする。
でもどこでそれが使われているかというと
たとえば企業の研修とか自己啓発だとかそういうところ。
学校現場にはまだあまり下りてきていないのかな。
この「フィンランド・メソッド」は
自分の理想が形になってて
読んでるとどんどんアイデアが出てくる。
実際に自分がやってみた方法がすでに取り入れられていたり。
****************************
「光村」はうちではもう随分と使っていない。
他と比べてみると
旧態依然ぶりが歴然。
他の教科書ではあまりに先進的なものを総花的に取り入れすぎて
まとまりのないものもあるけれど
でも光村が一番採用数が多い
と言うのは
なんだか現場のサボタージュなんじゃない?とか思う。
研究の浅さ。
光村の教科書じゃ読解しか教えられないぜ?
そもそも
もう教科書だけで授業する時代は終わりだと思ってるし。
教科書の指導になくても
機会に応じて色々と取り入れていけばいいのさ。
ブレーンストーミングは実は読解にも使える。
「逆ブレーンストーミング」。
「ブレーンストーミング」が発想をつなげて派生させていくものならば
「逆ブレーンストーミング」は、文章中の要素から根源へとさかのぼっていくもの。
つまり具体要素をまずピックアップさせてそこから共通項を考えていくというもの。
またはあらかじめ共通項を出しておいて
そこに繋がる具体要素を本文から探し出してもいい。
これも実は「F・メソッド」。
「研究」で使うような手の込んだネタは
準備が大変だから日々の授業ではできないかもしれないけれど
それらを「量産型」に加工して
いつでもとっさに使えるようになると
俺らとしては武器になるよね。
今、ひと月に数百の作文をみていますが、学校での教え方をこちらは知らないので、正直にいえば、びっくりしました。
入試の場合は「課題」が決まっているので、テーマ設定は比較的しやすいと思う。問題は「課題で何を問われているか」が見極められるかどうかですね。このあたりは、数をこなすうちに身につくとは思うけれど、やはり日頃からの読書量がものをいいます。いい文章を読んでる子は絶対音感ならぬ「絶対語感」ができているみたいです。自分が書く側の立場にたっても、「ここが大切だと思うときには、どう書けばいいのか。」が分かるのです。そこまでいかなくても「なんかこの表現ヘン。」程度のことにはピンとくるみたい。
で、作文を書くとき、必要最小限なのは、三つ。「事実」「感想」「考え」。読み手に対し、まず事実を客観的に伝える。次に、そのとき自分がどう思ったのか、感じたことを書く。そして、これから先、自分はどうしたいのか、あるいはどうすべきなのか考えたことを述べる。
もちろん、小3と中3、あるいは「作文」と「小論文」とは違う指導をしなくてはいけませんが、基本はあくまで「何を伝えるべきなのか」をはっきりさせることじゃないのかな。
わたしは学問は無いので、難しいことは言えませんが、「箇条書き」で頭をすっきりさせることはとても重要なステップだと思います。それから、「途中で経由している事柄B」を把握することは、小論文を書くときには不可欠の作業ですよね。
「感想」はその人の主観の問題だから批評のしようがない。改善のしようがない。
だけれど「分析」なら
客観的な科学的な作業だからそこには他者が意見できる。
新聞社説を三色ボールペンで色分けしてみるのです。
斉藤孝の色分けの仕方ではなく
「事実」「分析」「意見」で色分けします。
そして
「事実」は本当に正しいことが述べられているか
「分析」は本当に正しい方法で行われているか
「意見」はちゃんと理由付けされ論理的に主張されているか
ということを考える。
これは
ひょっとしたらどこかの誰かが考え付いているかもしれませんが
一応オレのオリジナルです。
そういう訓練をつめば
自分が文章を書くときには
自然と
正しい「事実」を書くこと
正しい「分析」を行うこと
正しい「意見」を言うこと
に配慮するんじゃないかな。
そして
「正しい事実」を述べることの不可能さ
「正しい分析」を行う困難さ
「正しい意見」を述べることの恐ろしさ
を感じるようになるんじゃないかな。
とか思うのですがね。
「読解」を大切にしたいという現場の思いもあるのだろうと思いますが、
新しく採用された物語があまりよくないので。
もちろん教科書だけで指導するわけではなく、
名古屋では市教委が(つまり現場の教員が)作る副読本もあるし、
それらを元に自分でワークシートやら日常実践やらをするわけですが、
脳筋人間をつくる研究の所為で、今は全くできていません。
ああ。
ところで、「絶対語感」は、確かにあると思いますが、
それは圧倒的に小学校入学以前の段階での、
言語活動によるものだと日々感じます。
自分の子どもには、赤ちゃんの頃から、
たくさんの絵本と触れ合わせようと心から思う今日この頃です。
「分析」のところ、中学生の作文添削をするときに、参考にさせてください。
わたしの仕事は小学生の作文も多く、課題が「どんなときに冬が来たと思いますか。」とか「お正月について書きましょう。」(どちらも小四)といった感じなので、そういう場合には、気持ちを盛り込む方が、内容は充実してくるのです。でも、確かに、ある程度のレベルに達してきた子供たちには、自分の文章を分析する力をつけさせてあげたいですね。
由比さま、はじめまして。
作文専門の添削をしています。
同時に、小学校低学年と幼稚園児の子をもつ母親でもあります。
小学校入学以前の段階での言語活動・・・自分はしっかりできているのかどうか、なかなか難しいところです。反省すべきことも多いです。
幸いというか、なんというか、割と本好きな子らではありますが、やつらはわたしが読書をして楽しんでいるようすを見ているから、その気になるみたいです。
子に本を読ませたいなら、親が読まねば、ですね。