自分を好きになれたら恋愛ができますか?
2006年9月18日 リビング コメント (3)という話をよく聞く。
それは確かにそうだろうとおもう。
恋愛はたとえるなら自分を売り込む営業であり
自分という商品が好きでないなら
自分という商品に自信がないなら
他人に自分を売り込んで買ってもらうことなんてできるはずがないから。
でも
理想を言うなら
自分がいちばん辛くて自分を嫌いなときにこそ
自分を選んでくれる人がいてほしいと思う。
調子がいいときには買ってくれるなんて
それは当たり前だから。
まあそれも
日頃からのセールスがものを言うんだろけど。
ここんところ
負け犬根性が染みついてきてしまってる。
ある意味あきらめなのか。
コメント
どうにもうまいこといえないようで、すんません(−−;
まだまだ修行が足りないっすね、アタシも。
素直にことばを受け取れないオレが悪いのです。
若いころに異性関係が乱れていたのも、結婚に失敗したのも、こんな自分でも求めてもらえたのだから、ありがたく思わなくては、という歪んだ自己認識があったのだと思います。
わたしの場合は、まず相手から無条件に愛されて、あなたがあなたであればいいのだ、と自分をすべて受け容れてもらえて、そこではじめてほんとうの恋愛ができたのだと思います。
そして、愛はことばだけでは届かなくて、無条件、という以上はことばの奥にあるものを読み取らなくては分からないものだと思います。
たとえば、何も言わなくても、ほほえんで一緒にごはんを食べてくれたり、落ち込んでいることに敢えて対処策を押し付けたりしないような態度。本来は母親がそういう役を担うものなのだろうけど、わたしは母親から否定されて育ちましたから。
女性が男性を無条件に愛するには、実は、婚適齢期と呼ばれる年代には難しいかもしれません。どうしても打算的になるし、いろんな面で圧力があるので、彼女たちも必死で生きざるを得ないのですね。
時間をかけてでも、ほんとうに愛し合える相手をみつけるほうが、最終的には満たされた人生を送ることができるとわたしは思います。
そして、そういうパートナーは必ずいます。
そして、ほんとうに孤独を知っているからこそ、相手から愛されたときに、自分も愛せるのだと思う。
わたしは、愛された、と実感した相手が現れたとき、もはや手遅れだった。
でも、あなたは、まだ若く、ひとりの社会人としてしっかりと生きているのですから、
あせらなくても、必ずパートナーに出会えて、愛されると思います。
うまくいえなくてごめんなさい。
あなたやあなたの恋人候補たちよりも10年分ほどよけいに人生をやってきたやつのたわごとです。