【1】
「何故生きるのか」という問にもし答えがあったとしたら
その答えに反した生き方をしている人間は生きられないということになる。
だから絶対な答えなどない。
ありえるのはあくまで相対的な仮定。

 
ありきたりな言葉で言うならば
生きる理由を見つけるために人は生きるのだ
ということか。


【2】
自分と対話して自分で答えを持っている
というのは悪いことではない
というよりは
社会人としては当然。
 
それを持っていない人間は
自分の考えや行動に責任を持つことはできない。
そして無責任な人間は対話に参加する資格がない。

ただし
自分の持つ答えを絶対視せず
常に変化させていけるフレキシブルさを備えておくことが必要。



 
 

 

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