この句、三カ条の口伝あり。
  是非初心忘るべからず。
  時々初心忘るべからず。
  老後初心忘るべからず。
この三、よくよく口伝すべし。

(一)是非初心忘るべからずとは、若年の初心を忘れずして、身に持ちてあれば、老後にさまざまの徳あり。
「前々の非を知るを、後々の是とす」といへり。
「先車のくつがへす所、後車の戒め」と云々。
初心を忘るるは、後心をも忘るるにてあらずや。
功成り、名遂ぐる所は、能の上る果なり。
上がる所を忘るるは、初心へかへる心をも知らず。
初心へかへるは、能の下がるところなるべし。
しかれば、今の位を忘れじがために、初心を忘れじと工夫するなり。
返す返す、初心を忘るれば初心へかへる理を、よくよく工夫すべし。
初心を忘れずば、後心は正しかるべし。後心正しくば、上がる所の態は、下がる事あるべからず。
是すなはち、是非を分かつ道理なり。
又、若人は、当時の芸曲の位をよくよく覚えて、「これは初心の分也。なをなを上がる重曲を知らんがために、今の初心を忘れじ」と拈弄すべし。
今の初心を忘るれば、上がる際をも知らぬによて、能は上がらぬなり。
さるほどに、若人は今の初心を忘るべからず。

(二)時々の初心を忘るべからずとは、是は、初心より、年盛りの頃、老後に至るまで、その時分時分の芸曲の、似合いたる風体をたしなみしは、時々の初心なり。
されば、その時々の風儀をし捨てし捨て忘るれば、今の当体の風儀をならでは身に持たず。
過ぎし方の一体一体を、いま当芸にみな一能曲に持てば、十体にわたりて、能数尽きず。
その時々にありし風体は、時々の初心なり。
それを当芸に一度に持つは、時々の初心を忘れぬにてはなしや。
さてこそ、わたりたる為手にてはあるべけれ。
しかれば、時々の初心を忘るべからず。

(三)老後の初心忘るべからずとは、命には終わりあり、能には果てあるべからず。
その時分時分の一体一体を習ひわたりて、又老後の風体に似合ふ事を習ふは、老後の初心なり。
老後初心なれば、前能を後心とす。
五十有余よりは、「せぬならでは手立てなし」といへり。
せぬならでは手立てなきほどの大事を老後にせんこと、初心にてはなしや。
さるほどに、一期初心を忘れずして過ぐれば、上がる位を入舞にして、終に能下がらず。
……

世阿弥『花鏡』より

 
 
 
 
 

 
 

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