風邪を引いたりけがをしたりすると
カラダはカラダであって自分のものではないんだなということを
いやというほど思い知らされる。
ストレスを抱えたりフラッシュバックを繰り返したりすると
精神も自分のいうことをきいてくれるものではないんだなということを
いやというほど思い知らされる。
カラダを動かしたり精神をメンテナンスするのはいわゆる「ココロ」になるかな。
でも
その「ココロ」だって本当に「自分」のいうことをきく?
感情が高ぶり歯止めがきかなることもある。
三つそれぞれがリンクしているけれど
それぞれが時に独自に暴走してしまうとき
「自分」のありかが問われてくる。
やはり
「自分」なんてものは三つをつなぐいわゆるネットのような
「霊魂」がそれにあたるのか?
カラダと精神とココロのすべてが切り離されてしまったとき
たとえ生きていても「自分」はやはり消滅して
他者との区別が付かなくなるのかな?
コメント
精神も自分のいうことをきいてくれるものではないんだなということを
いやというほど思い知らされる。』
この部分、同感です。
発疹が体に出ることがあって、肌が弱いだけかと思っていたのですが、どうもストレスかららしい。最近気がつきました。
自分を大事にしちゃうとかえって余計なストレスを感じるものなのかな、ということです。
失敗したり非難されたりしたときに
そのことについて反省するのは大事なんだけれど
それが自分の擁護につながったり逆に自己否定したりする。
物事の流れだけつかんでいればいいのに、自分というものを中心に置いて物事を考えようとすると
なんだか物事がひねくれる。
「自分」なんて存在は単なる思いこみに過ぎないのかもしれませんね。