今のひとは
個性というものが自分の中に生まれつき備わっていて
自分の現状に満足できないのは
自分の中のどこかに眠っているはずのダイヤモンドのようなすばらしい可能性を発見できていないからだと考えている。
 
しかし生まれつき個性なんて身についているはずがない。
個性というのは周囲との関わり合いや摩擦の中で
絶えず磨き上げられていくもの。

他人や社会との関係が希薄で自己完結的な現代の人は
その時々の衝動を重んじてそれを感譲ととらえてしまい
「生まれつきあるはずの個性」の一貫性を感じられない。
自分の感情を言葉で社会に説明しようとしないから
自分の感情を概念的に安定させたものにできない。

らしい。
某大学の小論の課題文より。


今読むとなるほどと思える。

それでもまだまだ
自分というものに捕らわれてて
他の人に気遣いができないでいる。
何でできないんだろう
と考えたとき
あまりにも余裕のない現状が思い当たる。
余裕があるからこそ人のことに目が向く。
余裕がなければひとを喜ばそうと思うことすら出来ない。

 
ひとのことを考え人のために動いて人に評価されたとき
その評価が自分の個性になるんだろうなと思う。
逆もしかりだけれどね。
 
 
 
 
 
 
 





 

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