何故こんなことができないのか
何故こんな事件が起るのか
そして何故そんな事件を解決できないのか
何故自分の周りでそんなことばかりが起きるのか
自分が悪いのか
目を閉じているとそんなことばかりを考えるのだが
そんな思いから逃れて目を開けてみると
また違う考えも生まれる
たかが5年目の自分が完璧で完成されているはずがない
まだまだ未完成な自分なのだからそんなことは当たり前だ
いつ自分が完成されたと思いこんでいるのだ
悔しいが
まだまだ不完全な自分なのだ。
そこで完全を求めようとするから
無駄で不自然な力が生まれるのだ
それが
ゆがみを呼ぶのだ。
己を知れとは
そういう自分の不完全さを知れということなのもかもしれない。
そして
自分の限界を知り
自分のある力の中でできることの範囲を知り
そして
その限界をどうやって乗り越えていくかその道のりを考えることでもある。
自分は不完全だ。
それは当たり前のことなのだ。
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