正直な話
かつて「教育=サービス」と考えていた時期があった。
他の産業と同じように「サービス」の向上を図っていけば「教育」の質の向上が可能なんじゃないかと。
この本を読んで、その考えがいかにアサハカなものだったかを痛感した。
「教育=サービス」となったとき、その「サービス」を「買う」のは誰か。子供達である。
「教育」というものの価値を子供達は理解できるか?
教育を受けているうちは不可能である。
なぜなら、教育をまっとうに受けなければ、「教育」の価値を判断する力が付かないからだ。
価値判断が付かない子供達にとって
「教育」というサービスは苦痛で退屈でしかない。
つまり「不快」。
受けるに値しない。
そして学校が崩壊する。
それは教える者の力量の問題なのではなく
「教育=サービス」という考え方から生まれてしまったものだのだと筆者は説く。
そしてさらに「教育=サービス」という考えが広まってしまったから
まっとうなサービスを受けられないことに保護者はクレームをつける。
この著書の中で述べられている「不快」=「貨幣」という考え方はとても印象的だ。
できるだけ自分に都合がいいように最小限の投資で最大限の利益が得られるように
人々は「不快」という貨幣を使って交渉する。
教育はクレームや崩壊を恐れて必死にサービスの向上を図る…。

 
しかし教育の受け手が教育を駄目にしているようなことばかり言われるが
果たしてそうか?
現場の中で、「不快」ばかりを述べて
そこから自分が利益を得られるようにする人間がかなり目立つ。
自分は「不快」だからこの職場では自分は能力を発揮しない。(しかし給料はもらう)
口だけ達者で働かないってやつ。
そういう人間が組織を蝕みなにより子供達を不幸にする。
しかしやっかいなことに
口だけ達者な人は
今の時代「非・真面目」に仕事をすることがクールだと信じている。
働かない自分の現状を「不快」の主張によって正当化しようとしている。
 

自ら学ばない生徒。自ら働かない教師。
 
消費することばかりを考えて生産することを志向しなくなった現代の日本人?
そういう人間の仲間内にならないよう
やはり悪口というものは言わないに限る。
 

ISBN:4062138271 単行本 内田 樹 講談社 2007/01/31 ¥1,470
 
 
 

 
 

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