いつの間にか結婚しますなんてところまで来てしまってるんだけれど
実は
相方には7年前に告白してて
その時はむこうに彼氏がいて断られてしまった。
しかしなぜかそのあと
まるで一年に何回か風邪を引くように
食事に行ったり
バイクでドライブしたり
鎌倉にあじさい見に行ったりしていた。
友達なのかなそれとも気があるのかな単に利用されてるだけなのかな
そんなことを考えながら7年過ごして。
そして去年の夏にまた
夏風邪をひいたみたいに連絡が来てランチを食べて
そのあと秋に紅葉を見に行って冬にディズニーに行って春に沖縄行って
一気に事が運んで今はここにいて。
7年間ずっと待っていたと言えばそうとも言えるけれど
それまでにもちろん人を好きになったりつきあったりはしていたわけで
それでもキモチの片隅に常にいたようにも思う。
今言えることは
つきあう前にお互いのキモチが強いのももちろんいいんだけれど
たぶん自分たちの場合はそうじゃなく
じわじわ底の方にあった埋み火が消えないで
それが今はしっかりとした炉になっているような感じか。
つきあうようになってだんだん
自分のキモチが分かってくることもある。
まだまだわからなくてやきもきすることもある。
考えてみたら自分たちは今まで
ふたりとも「好きだ」ってことばを相手に言ってない。
何だかこれってすごいなあと思う。
よく欧米は毎日相方に「好きだよ☆」というのがセオリーで
そうしない日本の夫婦(特に夫)は問題だ!!って言うけれど。
やはり問題あり?
全然問題はないんだけれど。
(そう思ってるのは自分だけかもしれないけれど)
7年越しの恋が実った
っていうとめちゃくちゃアマい響きで何だかはずかしいんだけれど
あんまりそういうところで感動はしてない。
恋愛語れるほど恋愛してないから何とも言えないけれど
カタチではないんだなあ
ということを自分はたぶん言いたいんだろうな。
コメント
ことばにかかわる仕事をしている者がこんなことを言ってはいけないのかもしれないけど、
たいせつなことは、ことばでは表現しきれないように思います。
でも、だからといって表現しなくてもいいというのではなくて、
表現したくて、それでもうまくいかなくて、という、そのもどかしさの中で、真実の思いは伝わるのではないかしら。
痴話ゲンカですが…。
どうもむこうはこっちのことを「よき理解者」としてとらえているのではないか、と。
それ自体はいいんだけれど、それだけで考えてくれては困る、と。
同職だし学生の頃から分かりあってる仲だし性格とかもよく似てるし。
だけれど
単なる相談相手にしか過ぎないんだったら結婚なんかしなくたって友達関係ですむ話で。
ちゃんとひとりの男としてみてくれないとこまる
ということを伝えて。
そしたらちゃんと分かってくれました。
伝わってるようで伝わってないこともあります…。
やはり言葉は強力(笑)