11日。
地震が起きたときは職場だった。
かれこれ2分くらい揺れ続けていた。
その後電車がすべて動かなくなり
校舎にいた生徒たちは待機せざるを得なくなった。
車で迎えに来られる家庭が生徒を引き取りに来る中
帰れない生徒は学校に泊まることになった。
非常セットは生徒分あったが
寒い中乾パンだけでいるのはつらいから
幸い冷凍庫に眠っていた文化祭用の冷凍うどんで炊き出しをした。
こういうときに家庭科室のある学校は強い。

うどんを食べさせたら
こんどは寒い夜空の下保護者の車の誘導。

この日は中学だけしか学校に来ていなかったので
高校担任である自分らは帰宅することに。
中学担任は宿泊である。
帰宅したのは12時半。


それから一週間がたった。
被害の具合が明らかになり
思ったより余震の被害が出なかった一方で
原発がひどい状況になり
この先世の中の動き方は不透明な状況。
あと数年は今までのような電気の使い方はできない。
そして放射能の影響で東北地方の農漁業は廃滅してしまうだろう。
食料危機が訪れるだろう。
でも円高になったことで海外の物資を安く調達することができる。
東日本はミニマムな生活を余儀なくされる。
被災者は一刻も早く暖かく平穏な生活に少しでも移行していただきたい。
南関東に住む自分たちは生活のあり方を見直さなければならない。
いつかはくるべき課題だったが
まさかこういう形でくるとは。
果たしてこれから先どのようなことがまちかまえているのか。
 
 
自分には原発の事故を処理することも津波の跡を除去することもできない。
できるのは
今持っている生徒らを一人前にして
これからの世の中を作り直してもらうことだ。


春休みは部活も講習もなくなってしまった。
今はひたすらこれから先できることのために力をためておくことだ。
 
 



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